すれ違う栞の束と
ポノロゴで信号待ちをしていると、中央分離帯に立っていたひとが近寄ってくる。空っぽの竹籠を片手に提げて、なにかスナック菓子のようなものを運転席に突きつけたが相手にされない。信号が変わり、車は走り出す。彼女はもう次の赤信号を待っている。
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テキサスの途上で蝶がそっと羽ばたくように、助からなかったちいさな集落のこと。
二階のベランダで祖父と将棋を打っていると、彼の飲むビールがやたらとうまそうに見えてくる。次の一手を待ちながら、意味もなく自陣の駒の向きを整えていた。
僕が胡瓜に味噌をつけて食べるのにハマっていたから、祖母が持ってきて(車の音がよく聞こえる。すぐ近くに高速道路が通っているからだ。丘のうえが夕日で真っ赤に染まりはじめているのが見えて、もうすぐこの家も赤くなるのだなと思った)また切るから遠慮しないで食べてね、と言う。遠慮しないで。その声の響きを繰り返す。どう、じいじに勝てそう?と言いながらニヤリと笑う、祖母のまなざしを繰り返す。
あと一口だけ残っているあんずのジャムが冷蔵庫でまだ冷やされている。
波でもあり、声でもあるもの
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あの泡立ちの隙間に目をやる。入江に泳いでいるひとが複雑な水面をつくっている。
濃紺が迫りくるマニラの上空を飛びながら、あのときほんの少しだけ泣いていた理由をまた考えてしまう。ことばは届かなくて良い、と改めて思いながら
「いつかあなたはわたしを忘れてしまうでしょう」
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「すれ違う栞の束と」について
日本の各地に散らばる生活者の撮った〈写真〉と僕がインドネシア滞在中(7/9-30)にかいた〈散文詩〉をコラージュし、ひとつの作品として構成します。
写真について
数名の生活者から「撮ってしまった」ものを送ってもらい、本人の希望するキャプション(一言メモ)を付して栞のように挟み込んでいます。高倉がインドネシアで撮影したものも含まれます。
写真で参加する方法と詳しい制作背景は以下のファイルを参照してください。
生活という現象の「読むことを拒みつつあらわれる」動きはどのように表象化し得るか、という問題に制作行為を介して取り組んでいます。