波頭

束の間、淡く残ることについて

fieldnote 通る、迎える身体

 連日、ポノロゴの村々で行われているレオというお祭りを見て回っている。ある村で、僕はガムランの異様な熱気にくらくらしながら、若者がクンダンを叩いている姿を念入りに観察していた。すると、楽器隊の男たちがこちらを見て笑いながら手招きしている。どうやら「来いよ!」と誘っているようだ。何も考えることなく、靴を脱いで布のうえにあがり、ふらふらと輪のなかに入ってみる。耳が裂けそうなくらいの爆音の合間に、インドネシア語で叫ぶ声が熱風のように飛び交う。全く訳がわからないまま、渡されたみかんやピーナッツを食べ、与えられた打楽器を演奏してみた。さらに、隣で少年がうたっているのを真似して声を出してみる。彼らは、たどたどしく歌ったりピーナッツの殻を剥いたりしている僕を見てガハハハと笑う。嫌な感じの嘲笑ではまったくなく、本当に楽しそうに笑っているから、僕も「なんだこれー」と本当に腹を抱えて笑ってしまう。

 隣で歌っている彼の持つスマホには歌詞が表示されていて、その場で曲名を調べてみるとどうやら有名なポップスらしいことが分かる。この村のレオではポップスを民族音楽的にアレンジして合奏しているようだ。そんなこともあるんだ、と驚いている僕に彼は何か一生懸命に説明してくれていたのだが、ほとんどわからない。僕も身振りで質問してみたりするが、伝わらないことの方が多い。

 誰かが「Orang Korea?」などと聞いてくれていたのに対して、僕はいつの間にか適当に頷いてしまっていたらしく、「BTS!?」と上気した顔で言うのを聞いてようやく「ノーノー、Orang Jepang!!」と訂正することができた。危ない、もう少しでBTSの何かにされるところだった…。それから2週間ほど経ってバンダ・アチェ津波博物館を訪れた際、入り口のところで案内役のウィルダを待っていたら、「やぁ、韓国人?」とスタッフの男性に英語で話しかけられた。お、またか、と思って「いや、日本人だよ。こないだポノロゴに居たときも韓国人だと思われて、危うくBTSにされるところだったよ!」と話してみたら、ふんぞり返って笑っている。そんなに笑うのか、とやっぱり僕も笑う。いま来たばかりのウィルダまで苦笑いしている。

 言語や文化の共有という情報伝達の基盤をほとんど生まれて初めてなくして、裸を曝すように誰かと向かい合ったとき、ただひとつ切迫してきたのはその場の「迎え入れる」空気のようなものだった。そこで何ら有意味な情報を交換できなくても、いやできないからこそ、笑顔やまなざし、声のトーン、リズムなどの要素が重なって、目の前のひとの態度や雰囲気を切実に感じる。その態度に感応して、こちらもいつの間にか「ここに身を任せてみよう」と身体が開いていく。意味内容の伝達を行う次元の手前で、ただ一緒に居ようとすること、たとえ応えてもらえなくても語りかけてみること、その贈与の態度こそがもっと根本的にコミュニケーションを支えているのだと分かる。

 僕の経験のひとつひとつをインドネシアに詳しいひとや海外経験豊富なひとに話したら、「それはインドネシアの国民性が〜」と語られたり、「異文化(との出会い)」などというつまらないことばでまとめられてしまうのかもしれない。僕は文章を書くことでそんな風に自分の経験を整理し漂白してしまいたいのではなくて、途方に暮れて笑ってしまうようなあの瞬間の訳のわからなさと高揚感を、あの経験のザラつきをもう一度触ってみようとしている。

 

 

 震災遺構や観光名所の案内をしてくれたウィルダは英語がとても上手だった。僕は英語があまりできないので、彼女が丁寧に説明してくれる内容についていけず、何度も聞き返したり、拾えるところだけ拾って先へ進んでしまったりした。

 津波博物館とPLTDをまわってランプロ村の遺構を案内してもらっていると、途中、ウィルダが何かを長々語りだす。若干雰囲気が変わったのを感じ取って一生懸命聞いてみるが、やはりいくつか知らない単語が出てくる。恐らくアチェ州が厳格なイスラム法に管理されていることについて説明しているのだろう、ということは分かる。それから、地球対話ラボの活動は異なる文化をもつひとたちがフュージョンする場所で云々、という話が続いてしばらくした後に「What's your opinion?」と尋ねられる。何らかの重要な主張があって、それを踏まえて質問されているのだと思うけれど、肝心な部分が分かっていなくて、上手く答えられない。

 途中からでも彼女のことばを録音しようとスマホを取り出そうとした。しかし、語りの力強いうねりにやられてしまって、彼女の目から離れることができない。

 海辺のカフェに移動して、他のAJメンバーも交えた6人で話すことになった。僕がミルクティーのあまりの甘さに呆れて笑っていると、彼らはプロジェクトのことについて議論をはじめた。AJの活動について感じていることを話し合っているようで、ところどころウィルダがこちらを向いて「His idea is…」「In my opinion, …」と翻訳してくれる。そして、また僕の意見を求める。たぶん、彼らは僕をAJの新しいメンバーだと勘違いしているのだと気付いた。君は希望者のなかから選ばれて日本に来たのだろう、プロジェクトに対する考えを聞かせてよ、と求められているようだった。実際のところ僕はAJのメンバーではないが、ではどういう立場でアチェに来たのか、ということを上手く説明ができない。「ゆうきさんはどう思う?」と真っ直ぐなまなざしを向けて迎え入れてくれる彼らに、僕はやっぱりちゃんと応えられないのだった。

 普段から寄りかかり過ぎていた「日本語」という支柱を外されて、何も言えずにぷかぷかと浮いている。そんな僕に「オーケーオーケー!」と笑う彼らと別れて、ウィルダと一緒にベチャに乗り込む。潮の混ざった風を身体で受けながら、「ウィルダ、さっきの話って…」ともう少し粘ってみる。すると、もう僕から実のあることばを引き出すことはできないと分かっていながら、彼女はもっと噛み砕いて説明し直してくれた。僕をAJの新しいメンバーだと勘違いしていたとしても、ふつうここまで何度も同じことを同じ熱量で話してくれるだろうか、と打たれるように思う。

 

 

 アチェで泊まったゲストハウスのようなホテルは建物のなかを風がよく通る。部屋のなかも、廊下も、2階の共有スペースも、フロントも、まんべんなく風が抜けていく。

 みんなが言おうとしていたことは何だったのだろう、ということよりも、僕に向かってここまで語ってくれた、ということの厚みが残っている。すべては拾いきれない、でもたぶん何か大事なことを聞いた気がする、という感覚がある。そして、このあと正しいことを説明して彼らの誤解を解いても、中川さんやパンリマさんの助けを借りて彼らの主張や質問の内容を全部理解しても、それが消えることはないだろう。何故なら、この経験において重要なのは言語化可能な意味情報ではなくて、僕に向かって語りが注ぎ込まれたときの身体の不思議な火照りの方だからだ。

 円滑に情報を伝えあっているときにはわかりづらい、相手の微細なまなざしや声、その熱の贈与としてのコミュニケーション。

 

 ホテルに戻ってウィルダと別れると、夕方の風がさっそく傍を通り抜ける。今日も訳がわからなかったなぁ、楽しかった、と暢気なことを呟いて部屋に向かう。少しだけ風通しの良くなった、ときおり透けてしまうようなこの身体を、僕は日本に持って帰ろうと思う。