波頭

束の間、淡く残ることについて

fieldnote 伊東卓個展「光の穴2」 - 光のアンビバレンスについて

 

 

 

 

光のアンビバレンスについて - 伊東卓「光の穴」からの連想


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(画像引用:仙台アーティストランプレイスTwitterアカウント @SARPsendai)

作家は穴のなかにいる。穴のなかから、外界を臨んでいる。
外界の状況はおおきくは開示されない。見えているのは穴のすぐ近くに茂る植物たち、その背景に林立する木々、そして、緑色に染まって零れてくる光。

ほとんどはじめて見るような感覚で、光を見ている。闇のなかにいる伊東さんのまなざしを通して見ると、光はまったく違ったものとして見えてくる。というより、僕はいままで光を見たことがなかったのだと気付く。


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(画像:伊東卓『光の穴』2021年、Hole)

光に誘われている。

行き詰まった状況が打破され前向きに進みだした瞬間を「光が差す」「光明が差す」などと表現することがあるが、このメタファーには「光は場をポジティヴに転換する」という単純なステレオタイプが多分に含まれている。しかし、伊東さんの作品においてあらわれる光は、ただひたすらポジティヴなもの、希望に満ちたものではありえない。むしろ、「光の穴」の一連の作品群にふれると、光がどれだけ歯痒くもどかしいものを内奥に含んでいるかについて、否が応でも想像させられる。

光に惹かれている。そうやってどうしようもなく光に惹き付けられることのもどかしさがある。

 

     *

 

銀河鉄道の夜』6章において、丘の上から鉄道を眺めていたジョバンニは、いつの間にか鉄道の中にいる。『青森挽歌』という詩篇では、汽車はのっけから「りんごのなかをはしつてゐる」。
こんな風に世界をいきなり反転させてしまう宮沢賢治の想像力について論じた社会学者がいた。彼は賢治の書く「穴」に注目する。銀河鉄道の旅の終わりにあらわれるそらの孔、「石炭袋」について、賢治作品に度々登場するりんごとも結びつけながら次のように書く。

石炭袋(コール・サック)は、この宇宙の中のひとつの点でありながら、同時にこの宇宙の外にひろがり、この宇宙自体をもまたその中のひとつの点としてうかべているのかもしれないような、〈外部の〉空間への通路でもあり、露頭でもある。このようにして石炭袋は、宇宙空間の外部に向って反転されたりんごの孔である。りんごといううらがえし可能な空間が、銀河といううらがえし可能な空間の中で、それ自体うらがえされたかたちに他ならない。それは宇宙がそれ自体、異の空間への出口をもつ空間でなければならないことを、詩人が直感しているからである。*1

カムパネルラと石炭袋を見ていたそのすぐあと、ジョバンニは幻想世界から現実世界へと、ぐるっとうらがえされて還ってくる。もとの丘の草の中にねむっていた自分に気が付く。

穴という存在は、それ自体が「入口であり出口でもある」ように両義的で、そこをきっかけに「内と外」の認識を反転させるような、ひとつの媒介点である。伊東さんは穴のなかで反転した自身の感覚を「ここでは影のほうが実体ではないか」と的確に書き取っている*2
世界はそもそも、何らかのきっかけで簡単に意味が反転してしまうくらい、根本的にambiguousなものである。普段の生活ではほとんど隠匿されているこの秘密に、穴において日常的な実体感覚がひっくり返るような決定的な経験をひとつのきっかけとして、僕たちも時折触れることがある。

津波被害によって破壊された沿岸部の風景を見て、伊東さんは「すべて否定されたような気がした」という。「光の穴」に寄せたテキストのなかでも東日本大震災について触れている箇所がある。

東日本大震災があり私たちの住む街は変わってしまっていた。
街はすべてに意味があり、それによってなりたっていた。
しかし突然意味を失い、漠然と横たわっていた。

街という存在ははじめから、あらゆる意味に満ちた空間であることもできたが、まったく逆に、意味を持たずに漠然と横たわるものであることもできた、という認識をとることができる。都市は僕たちの生活の拠点であり、産業の拠点であり、社会が成立する場所であったが、それと同時に、無意味で無機質な単なる構造物でもあった。震災はその当たり前の事実を、本当に当たり前のものとして露にしただけだった。
あることもできるし、また、ないこともできる。別の可能性がいくつも折り重なっていて、そのうちひとつの状態が採択されることで、偶然いまの世界が成り立っているのかもしれない。オッカムの剃刀で削り落とされるであろうそんなSF的妄想も、なんの説明もなく唐突に「すべてなくなる」光景を目の当たりにすると真に迫ったものに感じられる。そっか、だから簡単になくなってしまえるんだ、と腑に落ちてしまう。

存在がはじめからその身に不在や喪失を孕んでいること。伊東さんは穴において、そのアンビバレントな存在感覚を次のように具体的に表現している。

建築があらかじめ廃墟を前提として造られるならば、
歴史もまた廃墟を包含しているのではないか。

 

     *

 

廃墟はしばしば、消費の対象となる。風景画が本格的に普及した17世紀ヨーロッパにおいて、既に廃墟は強い関心の対象であり、モチーフとして頻繁に取り上げられた*3。日本でも1990年代から廃墟愛好家が増えた。廃墟写真集や廃墟巡り本が何冊も刊行され、一部の廃墟は観光地化されるなど、現在進行形で廃墟ブームが興っている。いわゆる「インスタ映え」のため、ブログやツイッターに記録し共有するため、廃墟や遺跡にカメラを向けるひとも増えた。
廃墟に向けられるロマンチシズム/フェティシズム(あるいはキャピタリズム)は共通して、廃墟をまず対象化し、それから外面をなぞって単純化する。そこには、あくまで廃墟とは本質的には交わらず無関係を貫いたまま、その外面を掬って満足するだけの、独りよがりな熱っぽさがある。

海沿いの町は無惨な姿に変わっていた。
それは思い描いていた歴史の中の廃墟とは違っていて、
目の前に広がる風景との落差にただ呆然とするしかなかった。
それ以来身体のどこかに廃墟を抱え込んでいる
十年を経て記憶が薄らいできても身体の廃墟は残り続け、錆のように浸食していくのだろう。

それに対して、伊東さんの視線は冷たい。廃墟はただの無機質な構造物、その残骸であり、その裸形の現実である。それを前にすれば、ただ呆然とするしかない。そして、そのまなざしにおいて「歴史もまた廃墟を包含しているのではないか」ということばがあらわれる。「廃墟を抱え込んでいる」ということばがあらわれる。
廃墟に対する視線が「冷めている」ということは、廃墟に対して「距離をとっている」ということではない。その反対である。廃墟は、簡単に対象化できるほど遠くにあるものではない。この明るい世界のすぐ背後に控えているもうひとつの現実である。
そこはかならず「生き着く」場所である。そして、僕たちや僕たちの住む場所が予め「内に抱えている」ものであるはずだ。伊東さんのまなざしは、このことを認識し通し、引き受けているがゆえに冷たいのである。

 

     *

 

シリーズ初作「光の穴」(2020年)においては、写真は白黒だった。


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(画像引用:仙台アーティストランプレイスTwitterアカウント @SARPsendai)

「影のほうが実体ではないか」ということばどおり、白黒写真は「影の実体感」を強調する。もちろんそこには「光の淡さ」もあり、そのコントラストが美しいのだが、とりわけ迫ってくるのは闇のほうであった。
対して、今回の「光の穴2」(2021年)ではカラー写真になっている。伊東さんは「白黒では表現しきれないところがあった」と話していた。カラー写真においても影についての表現は健在だが、今度はやはり色彩ゆたかな光の方に視線を奪われる。

その光は、どのような光だったか。

 

テキストは次のように締め括られる。

さまざまな境涯を経て「穴」に辿り着いた人たちは、どのような外の光を視ていたのか。光の先に希望は見えたのだろうか。

希望は見えたのだろうか、という最後の一文を、僕は反語的な表現として読んだ。穴のなかにいる作家がイメージする光は、「希望」のような一語には決して回収できない微妙なものだったのではないか。身体のうちに廃墟を抱え込み、光よりも影に親しむ感覚を持っている者たちにとって、光から湧いてくるものはもっと複雑な感情だったのではないか、と僕はどうしても想像せずにはいられない。

「特攻隊員として戦死した親戚の存在が気になり足跡を追うようになった」と伊東さんは書いている。実際に、陸軍弾薬庫跡、防空壕跡、炭坑跡などのほかに、特攻艇格納壕跡にも潜り込んだ。このことを知ったとき、鑑賞者の視線は、穴のなかに立った伊東さんのまなざしだけではなく、そこに居たかもしれない誰かのまなざしにもまた、重なる。

例えば、このあと光の中へ出でゆき、確実に散っていくことが分かっている者にとって、穴に差し込む光は、自らが「すべてを失くす」ことの具体的なイメージを与えるものでもあったのではないかと思う。そして同時に、その光は、それでも「かつて誰かとの生活がそこにあった」ことの具体的なイメージを与えるものでもあったのではないかと思う。特攻隊員になる以前、あるいは太平洋戦争、日中戦争が勃発する以前、彼らの送っていた日常は本来光の中にあったはずである。
そして、その光に無理やり叩き込まれるようにして、また、その温度に誘われ自ら飛び込んでいくようにして、彼らは穴の外へと出ていかざるを得なかった。

 

穴から外を見る。少しだけ流れ込んでいる淡い光は誘惑的である。その光は、そこにかつてあった日常、広がっているはずのあたたかい世界を、その明るさをもって、一瞬垣間見せるだけだ。本当はもう光に戻ることはできない。祝祭的な光のなかにずっと居続けることはできない。それが分かっていながら、それでもなお、光に惹き付けられる。

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(画像:伊東卓『光の穴』2021年、Hole)

画面の大部分を闇が占有している。光の届かない冷たい内壁に、作家が歩く音、機材を動かす音、水が流れる音、同行するだれかの話し声が谺している。静かな展示空間に、聴こえるはずのない籠もった音が響く。呆気にとられて動けない僕の耳には、半世紀以上前、ここにいた誰かの息遣いや切羽詰まった叫び声、怒鳴り声もまた重なりはじめる。写真が僕の耳を欲望させて、こんな音声を再生する。そのときに覗いている薄緑色の陽だまりは、希望でありながら絶望でもあるような、あまりにも曖昧でもどかしいものだった。

それでもなお焦がれてしまう、という残酷な痛み。あたたかいのに、苦しい。奥行きのあるイマージュが、写真と僕のあいだに浮かぶ。

 

表現に導かれて、想像は彷徨する。光を目指して、不在を求めて、想像力は広い空間に遊び出ていく。

 

 

*1:見田宗介宮沢賢治:存在の祭りの中へ』(2004年、岩波現代文庫)7-8頁。

*2:伊東さんのテキストはすべて、伊東卓『光の穴』(2021年、Hole)から引用している。

*3:例えば、谷川渥『形象と時間』(1998年、講談社学術文庫)77頁、清水真木『新・風景論』(2017年、筑摩選書)112頁などを参照。