波頭

束の間、淡く残ることについて

fieldnote 仙台写真月間2021ㅤ(2)

 

※以下に掲載する写真は9月26日に高倉が撮らせていただいたものです。作家さんからの撮影・掲載許可を頂いたうえで公開しています。

 



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何かと何かを隔てるもの、何かと何かのあいだに挟まれるものに焦点が合っているような作品が印象深い。期待される風景は素直に開示されず、「隔てるもの」の向こう側に広がっているだろうことを予感させるだけだ。


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枝枝の向こう側に少女が見える。この連作のなかで唯一動きを持っている少女の方についつい目が行ってしまうはずだが、そちらには一切ピントが合わない。少女は、あくまで枝枝の向こう側に付随的に写るものとして後景化している。

私たちの「見る」欲望、まなざしの志向性を遮るものの方に力点が置かれているように思える。期待だけが膨らみ、しかし、それはギリギリ満たされない、見えそうで見えない、というところを煽るように写真が成立している。



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写真のなかにいる人物がどこかを見ている。視線のさきには何かがあるのだろう。何を見ているのだろう…。

 

作品の外部から「横断歩道があって、おばさんが居て、奥にあるのはアパートかしら?」とラフに眺めているスタンスから、「このひとは何を見ているんだろう…」と入り込むモードへとあっという間に飛ばされる。作品内の人物に身体が吸い込まれ、気付くと視線が同化しそうになる。だけど、彼女から何が見えているのかは写真のなかで開示されない。ちょうどフレームアウトしている。風景への期待は裏切られ、予感は予感のまま、ぱっとあやふやになる。行き場をなくした鑑賞者の視線は想像の世界へと流れる。

この一連の視線のさまよいのうちに、作品がある。

 

誘惑し、欲望させ、それを唐突に裏切り、想像に繋ぎ止める。

視線に揺さぶりをかける場所としての写真。写真という平面に立ち上がる力学。