波頭

束の間、淡く残ることについて

fieldnote 仙台写真月間2021‌︎ㅤ(1)

 

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高橋親夫「ここにいた時は子どもだった」

 

高橋親夫さんの去年の展示については別のところで書いた。今回は浪江や荒浜など様々な被災地で撮影された、幼稚園、小学校の生活の痕跡が展示されている。「へいせい20ねんどそつえんせいのじがぞう」、空き缶を集めて作られた恐竜、泥に汚れた運動会の記念写真。恐竜を構成する空き缶にはビールやチューハイが多い。たぶん、お父さんが飲んだたくさんの缶ビールを「これ!幼稚園に持ってく!」「いま恐竜作ってるんだよ!」と喜んで集めたんだろう。あぁ、そういえば、こういう工作って家族の協力が大きかったなぁ。

これらの幼稚園や小学校は、もうすぐ取り壊され、地上から姿を消す。

 

一般的に固有名詞は想像が伸びてゆくのを払い落として知識へと還元させてしまうことが多いが、知らない小学校や幼稚園の名前が写真に添えられているとむしろ、そこにリアリティが浮かび上がって想像を促進させる。そして、撮影者もまた想像する。「ここにいた時は子どもだった。」いまは大人になっていて、たぶん、ここにいた当時のことを薄っすら、もしかしたらはっきりと覚えている。新聞記事はここにはない。科学的、統計的なデータもここにはない。ただ、写真と、その写真が観察者に(遠隔的に)想起させる「記憶」だけがある。

 

花輪奈穂「傍らに立つ」

 

写真1点1点が違う高さ・角度で、相互に関係を持つような配置で展示されている。空間を歩き回り、写真どうしの関係、写真と自分(鑑賞者)の関係を経験する作品。

「この層は面白いな」「おおぅ、歩くと影が写真にうつるのか」と、もはや作品を経験している自分がその作品の成立に直接関わっているような感覚。歩いて、しゃがんで、背伸びして、作品に向かって動いてみせること、そうして新しい見え方を発見すること。「見る」という静的な行為も、目だけではなく身体ごと行われることによって、作品の成立に参与できてしまうような動性を持った行為に変わる。

 

小岩勉「FLORA#07」/野寺亜季子「a #3」

小岩勉さんの展示、恥ずかしながら初めて拝見させていただいた。ちなみに、写真集『野守の鏡』は火星の庭で購入してから何度も開いている。

 

展示された写真たちの湛えている空気があまりにも凄まじくて、嘆息を漏らしながら膝から崩れ落ちそうになった。静謐さ。モノクロで且つ落ち着いた風景、たしかにそれだけでも大分静かな印象を与えるけれど、小岩さんの場合少し違う気がする。まず、これをこうやって見せましょう、こうすればきれいですね、という「作品を見せる感じ」がない。時間を閉じ込める手業を、ただひたすら淡々と繰り返している感じ…。あぁ、そうか、この静謐さは小岩さんの手つきのそれだ。この方はたぶん、世界に触れてシャッターを切るとき、とても静かなのだと思う。

 

それから、額に入れられた写真が下方にかかえている余白が効いている。どの写真も、同じように余白をかかえている。

額の下半分に、写真から広がってきた静かな時間が滞留している。白くて、とても淡い。

 

会場の奥に行くといつもは閉じられている箇所が開いている。右側のスペースに通じているのだ。入ってみると、そこでは野寺さんの展示空間が広がっている。あとで聞くと、「今回は二人の展示を繋げてみたんですよ」とのこと。「それは予め決まってたんですか?」「いえ、仙台写真月間に参加される作家さんの組み合わせが決まってから、作家さん同士で話し合われて決めたんだと思います」。

 

野寺さんの展示を見ると、なるほど、モノクロ写真とそれが湛える静けさという点で繋がっている。一見して掴みどころのない白い光の玉の連作と静物。白い玉は電球だろうか。置き去りにされた生活、という感じがある。小岩さんが時間をとじこめていたとすれば、野寺さんはそれがとてつもない遅さで本当はゆっくりと確かに動いているのを見つめている。光はゆっくりと、しかし確かに形が変わる。

 

照井隆「Lines&Colors」

グラシン紙にボールペン、アクリル、色鉛筆で色が乗る。グラシン紙と白い壁は連続していてフレームレスな印象を与える。

縦横無尽に駆け回るボールペンの線は、作家がこのグラシン紙のうえを駆け回ったそのときの動きを想起させる。作品を見るということは、作家の身体の動きを追体験することでもある。抽象画を見るときは「意味」のモードを捨てる必要がある。完成されたそれを何らかの意味に結びつけようとすると途端に進めなくなる。それは風景かもしれない、それは感情かもしれない、いや、でもそれよりもリアルなのは、作家の身体の動きなのだ。そこに筆が走る躍動を、色彩が広がってゆく興奮を感じ取ること。