波頭

束の間、淡く残ることについて

interlude/祭りのあと - 個展「景に遇う」の場にゆらめいたことについて

 

はじめに

 この文章は非常に微妙な位置にいる。まず、その微妙さについて簡潔に述べておきたい。
 世に多く出回っている評論などの散文作品、記事・紹介文などの説明的な文章は基本的に、読者に対して最大限の配慮をしながら、「伝えたいことを伝える」ことを目的として書かれている。しかし、本稿は以下の点において読者に対する配慮を欠いており、「伝えたいことを伝える」ための文章からは逸脱している。

・複数の主題*1が入り乱れ、しかも内容が反復するので、全体としてまとまりが無く冗長に感じられる。
・形式に統一性がない。エッセイ・ダイアローグ・論証と三種類の形式が混ざっていて読みづらい。

 このように読者に負荷がかかるような文体をとってしまったのは、この文章を駆動する欲動が「(内容を)伝える・わかってもらう」領域を超えて別のところへとはみ出しているからである。僕は、この文章を「個展(とその直後)の経験を咀嚼して飲み込む」ものとして、自分用メモとドキュメンタリーの中間のようなものとして書いていた*2。文章を構成するうえで、以下の二つの要素が重視されている。

1.展示の場に来てくれたひとたち、友人・家族、作家の方々、ギャラリーチフリグリのいのうえさん、水澤先輩と僕、様々な書籍・音楽など、複数の主体の「声の交差」
2.個展の内部から外部へ、祝祭の内部から外部への「時間感覚の移行」

 この二つの要素を文章に盛り込み、個展の時間を再演しつつ咀嚼しようとした結果として、冗長で読みづらい文章になった。
 しかし、「文章」という形式を選んでいる以上、誰かに何かを説明することの重力からは完全には逃れ得ない。何かを伝えることを完全に拒否しているわけではない。この文章は、何かを説明するところへと度々連れ戻されながら、全体としては伝達可能性からゆるゆると抜け出ていこうとしている。先に「微妙な位置にいる」と書いたのはこのことを指している。
 以上のことを踏まえ、普通の分かりやすい文章を期待せずに読んでいただきたい。とはいえ、僕にとって個展「景に遇う」がどのような時間だったのか、ほんの少しでも追体験−体感していただくことができれば、それはそれで望外の喜びである。




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せんだいアンデパンダン展がはじまる少し前だったとおもう。喫茶frameのレジの向こうのスペースにたくさんの紙箱があるのをみて、僕が「作品の搬入ですか。これだけあるとディスプレイも搬出も大変そうですね…」と小さな声で言うと、ほんださんは嬉しそうに「展示ってお祭りなんですよ」と言った。

なるほど、展示というのは祝祭なんだ、と本当に実感できたのは個展がはじまって2日目の夜のことだった。空間に展示物を運び込み、ひとつずつ配置してゆくところから、その場所にさまざまなひとが訪れて、〈ことば〉や〈ふるまい〉が一瞬交わって去っていく、そのつかの間はたしかに祝祭であり、僕はそこに立ち会い、巻き込まれているのだった。

思い切って言ってしまうなら、〈創作する〉ということはそもそも、祝祭に立ち会い巻き込まれること、まさにそのことに他ならないと思う。たぶん展示はその一部であり、文章や詩を書く、歌をうたう、写真を撮る、モノをつくる、ということもその一部なのだろう*3。ほんの一瞬、いろいろな区別や常識、自分を囲い込むさまざまがふっと薄くなって、なにかとなにかが交わりあいながらあらわれては消えていく空間に解き放たれる。思いもよらないところで、なにかと出会う、感じ合う、いつもなら考えられないようなことを平気でしてしまう。僕だけではない。この場所ではあなたも、僕のよく知らないあのひとも、なにかと出会って、動いて、思って、去っていく*4

 

     *

 

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立体作品の最上段、いちばんうえの箱について、「これは開けてもいいんですか?」と聞いてくれるひとが何人もいた。それに「はい、開けても大丈夫です」と答える。例えばたったそれだけの、このひとつのやり取りに〈創作〉という現象の果肉がぎゅーっと詰まっている。
何も聞かれなければこちらからは「開けてください」とは言わないから、なんだこれ、と困惑しているひともいた。困惑しながら、とりあえず触ってみる、撫でてみる、そういうひともいた。何もせず、何も聞かず、帰っていくひともいた。もちろん、その箱は触ったり撫でたりするものであっても良い。その箱は何もされず、何も意味をもたされず、ただそこにあるものであっても良い。
困惑の発生。動揺の発生。触る、撫でる、よーく見る、叩く、匂いを嗅ぐ、聴く、開ける、というさまざまな行為の発生。何の意味も見出されること無く、ただ知覚されるという行為の発生。コミュニケーションの発生。想起や連想の発生。

 

最上段の箱を開けると、真っ黒に塗られた箱が見つかる。f:id:taratara_miztak:20211125004215j:image

「これはこの会場のどこかに鍵が隠されていて、それを見つけないと開かないのかな」と言うひとがいた。なるほど、それも良いな、と思った。「これは開けられるの?」と聞いてくれるひとがいたので、彼らには「いえ、これはどこも開かないようになっている、〈開かない箱〉なんです」と説明する。鍵はないし、たとえ鍵があったとしても、そもそも開口部が存在しない。
「なに?〈開かない箱〉って」とそこまで聞いてくるひとには、もうすこし話してみる。「となりに開いている本は『100回泣くこと』という、僕が中学生のころに読んだ本なんですが、その終盤に〈開かない箱〉が出てくるんです*5」。今回風景とか記憶とかを考えていて、開く箱のなかに〈開かない箱〉を入れてみよう、と思い至ったのだった。
話を興味深く聞いてくれているひとには、「開かない箱は、どうしても留めておきたい記憶、取り出せないくらい奥深くに沈み込んだ記憶の象徴なのかもしれないです」という余計なところまで話すこともあった。しかし、これは「永遠に閉じ続ける箱」の意味のひとつ、解釈のひとつでしかない。
それが何なのか、答えはない。それは本当のところ何であっても良く、また、究極のところ何でもない。肝要なのは、「また箱があるんだ」という発見、箱に向かい合ったときの「なにこれ?」という動揺、「〜かもしれない」という連想、等々の発生である。

 

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真ん中の段のアクリルは、視線の方向によって見え方が変わるように配置している。どこから見るかによって、写真とことばの重なり方が変わり、別の風景が立ち上がる*6。このアクリル空間をじっくり鑑賞するとき、中腰になるか、しゃがみこむか、「体勢を変える」という契機が自然と要請されて、例えば、次のような状況が生まれることもあった。

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〈創作する〉という現象がこの光景に収斂し、結晶していったのをはっきりと感じる。本当は僕たちは作品を創ったのではなくて、この光景が生まれてくる(かもしれない)〈場所〉を用意した/させられたに過ぎない。

 

     *

 

「なんだか、出来事の感じられ方がここでは根本的に変わっているね。なんでも無いささやかなことのひとつひとつが不思議なことのように感じられる。ありがたくて、からだがぽかぽか暖かくなる。まさに〈存在の祭り〉*7と呼び得るものかもしれない」

「『ゆたかな時間をありがとう』と言って帰っていくひと*8がいたね。『あたたかい時間』と言ってくれたひともいた。〈ゆたかさ〉〈あたたかさ〉がそのひとに湧き出したということは、本当に奇蹟みたいなことなんじゃないかな」

「なにか行為が生まれる、ことばが生まれる、というだけでもう十分だけど、例えば〈あたたかさ〉のような何らかの感覚がだれかに残ってくれたら嬉しいね。もちろん、僕たちのなかに展示の光景が残っているだけでも身に余る幸せだけど、誰かのなかにも風景が立ち上がって残ってくれれば良いな、とも思うんだ」

「『記憶の箱をあけてもらいました』ということばも印象に残っている。だれかの記憶のなかの風景が一瞬起き上がる、そういう瞬間もあったのかな」

「〈景に遇う〉は、偶然組み合わさったもののあいだで、あたらしく感覚が湧き出して風景として残っていくこと、あるいは記憶のなかの風景が淡く立ち現れてくることを切実に待っているような空間だったと思う。そうか、僕たちはあの場で、本当にただ待つ、ということをしていたんだな」

 

     *

 

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ワークショップ「景に遇う」は、今まで書いてきた〈創作〉のプロセスが凝縮され、比較的見えやすいかたちで具現化したものだったと言える。

レシートプリンターに印刷された写真とトレーシングペーパーに印刷された短詩(一行詩)をかけ合わせてひとつの風景を出現させる。参加者は、

(1)籤(紙紐)を引く(→それによって写真と短詩がひとつずつ決められる)
(2)短詩をハサミで切る
(3)切ったことばを写真に貼る
(4)フィルムに入れて好きな位置にハトメドメをする

などの選択−行為によって「風景の出現」に介入する。
用意した写真とことばは数種類なのでその組み合わせじたいは大した数ではない。しかし、ここに訪れたそのひとの人生の文脈やその日の情緒によって、立ち上がってくる「風景」の質感のようなものは無限通りに変わってくる。その「風景の出現」は参加者にとって、端的に偶然である。
また、選ばれた写真と短詩を参加者がどのように組み合わせるか、ことばをどのように写真に乗せるか、写真と短詩を用意しただけの僕たちは当然わからない。工作の自由度がある程度担保されていることによって、企画者のぼくたちにとっても「風景の出現」は偶然性にひらかれている。


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予め完成しているものを見てもらうのではない。作品が生まれる〈場所〉に巻き込み、その創造の過程に参加してもらうのだ。この〈場所〉において唯一的な「作者」なるものは存在せず、企画者も参加者もともに、一瞬そこに立ち遇った通りすがりの旅人のような関係になる*9。風景は、その〈場所〉において、その関係性のあわいにおいて立ち上がる。

 

横浜からわざわざ来てくれた友人から「どうして発表しようと思ったんですか?」と尋ねられた。そのひとはこの個展以前の僕の活動をよく知っている。僕はまえから詩や文章を書いていたけれど、その殆どを数人の親しい友人にしか見せていなかった。例えば『記憶のかけら『歩道橋とリフレイン』みたいな詩作は、謂わば宛先のない「手紙」みたいなもので、記憶のなかの風景をことばにしてその場に置いていくような極度に私的な内容だった。だから、ひとに見せるものではない、「見て!」「読んで!」と積極的に公開するようなものではない、と思っていた。
そのことを知っているからこそ、「なんでいきなり個展を?」と不思議に思ったのだと思う。尤もな疑問だ。
別の方からは「(なまえをだして)作品をひとに見てもらうって、嫌になることはありませんか?」と問われた。無論、それは「あります」と答えるしかないのだが、そこから僕は「(それでも)見てもらう」ことについて語らざるを得なかった。

去年一年間、仙台のギャラリーを毎週巡って、いろいろな作家と対話しながら彼らの「方法」を見て回った。そのうちに「表現」というのは(作家の)「内部急迫*10」のあらわれなんだ、そこにしか「表現」はないんだ、とだけ思っていたところから少しずつズレて、いや、作者が自分の大切なものを手放す瞬間がある、と気付いた。そして、そのことを『「表現」についての覚書』という文章で書いた。この一年間でたどり着いた地点はそこだった。

〈「伝達」からはズレた場所〉とは、表現そのものから無限に「意味」が湧出してくる場所、表現が「意味」の媒体になりながらもそれ自体新たな「意味」を生み出す起点にもなるような、そういう場所である。そこでは作者という存在は、作品に手を加え方向性を定める役割を背負いながらも、完璧に唯一的な主体になることはない。表現自体が、作者の意図(思い)すら遥かに超えて、自ずから動く主体になるような瞬間があるからだ。
表現行為のなかで唯一無二の〈私〉が居なくなると、必ず作品に曖昧さが残る。偶然性と匿名性によって導かれるこの曖昧さが、作品に奥行きを、不思議な〈出逢い〉を作る。作者や鑑賞者が〈私〉から解き放たれたときに初めて起こる、この〈出逢い〉にこそ、表現をやめられなくなる理由と、「伝わる/伝わらない」という基準では語りきれない奥深さがあるはずだ。

僕はこの文章のなかで、「表現」を固定化した意味から切り離して、もっと自由な動きのなかに浮遊させようとしていた。「表現」が作者側だけで完結してしまうのを避けて、何かが介入してきて偶然に新しい感じ方や接し方がわき起こること、そのように意味が動きゆらめいていくことを創作行為の本質に据えている。

僕はつくりだしたモノ(表現)をプロセスのさなかに置こうとしている。意味の戯れのなかへと戻そうとしている。

しかし、「プロセスのさなか」とはどこか?
まずは、作者(という媒介者)において「表現する」「形にする」という行為が現象するプロセスがある。「内部急迫」「熱」「おそれ」が作者という存在を通過するプロセスである。しかし、「モノ」が生み出された段階で、その行為は終わる。そうするとその「モノ」は新たな意味を付与されることなく、やがて少しずつ止まっていってしまう。創作現象はここでいったんストップする。
この「モノ」を例えば展示という形式で空間に置いたとき、再び何らかの出来事が起こる可能性にひらかれる。その「モノ」を場所として〈ひと〉と〈ひと〉とが出会ったり、〈ことば〉や〈ふるまい〉が交差する。展示によって、「モノ」は再度絶えまない現象のプロセスへと戻されるのだ。

「モノ」を媒介点として、そこに誰かが巻き込まれていくこと、そこに自分も巻き込まれること。僕は自分自身の「身体」だけではなくて、あらわれてきた「モノ」もまた、新たになにかが現象する〈場所〉として生かしてみたい。そんな実験的な欲求、「遊びたい」「揺れていたい」という欲求に身を委ねてみたら、今回の展示にたどり着いていた*11

 

     *

 

「ほんとうはひとりひとりの生というのは無形の波のゆらめき(戯れ)で、僕たちのからだやこころがこうやって形をとるのは、そのあかるい生命のゆらめきみたいなものが通過していくためだ、ととりあえず言ってみようか」

「胡散臭い神秘主義という感じがするよ」

「その言い方に立ち止まっているだけなら、そうかもね。だけど、認識としてはもっと醒めていて、要するに僕たちひとりひとりの個体は何らかの〈場所〉でしかない、という考え方だ。主体性とか、能動性とか、意志とか、そこから出発しようとする語り口はもはや飽きている。

〈創作〉という一連の過程はとくに、この〈場所〉という切り口がないと捉えづらいと思う。作者なんてものは、表現行為が立ち現れる媒介点でしかない。写真や文章や絵画みたいな、個々の表現(モノ)だって、そこで巻き起こるさまざまな体験の交差点でしかない。作品は、その場所を通り過ぎてゆく、その場所に立ち現れてくる動き、〈戯れ〉のプロセスそれ自体なんだと思う。創作は、生命の現象過程と連動しているね」

「まぁ、わかるよ。ただ、その認識をとったとしても、では、どのような場所として身体をひらくか、という人間の問題は残るね」

「そう。それが技術の問題なんだよ。そこに作者をはじめとした人間の介入する余地があるわけだ」

「例えば今回の個展で言うと、立体作品の最上段、一番うえの箱をはじめから開けておくか、閉めておくか、という問題があったね」

「あれは最初開けておいたんだけど、途中で先輩が閉めて、それからずっと閉めておくことにした。閉めておくことによって、例えば『開けて良いんですか?』『これって開けられるんですか?』みたいなコミュニケーションの発生、〈箱を開けてなかを覗く〉等々の体験の発生を呼び込めるかもしれないと思ったからだ」

「ここでは〈(予め)閉めておく〉というのが唯一の介入ってこと?」

「うん。半透明の写真を変な位置に散りばめるのもそうだね。ガラス面の下の方に貼り付けたり、入り口ドアの取手ちかくに貼り付けたり。しゃがまないと見えない、よく観察しないとわからないところに配置することで、発見やそれに伴った発言が生まれるかもしれない。想像を超えていくような〈かもしれない〉をできるだけ殺さないということも、ひとつの技術なんだと思う」

「君の言っている技術は、例えば工芸品をつくる職人の技術とか、描画や建築の技術とかとは似ても似つかない気がする。それらに比べればあまりにも些末だ。芸術家っぽい、我を通す感じや自分の表現を譲らない力強さも全然感じない」

「そうかな。これもまた技術、という話でしかないと思うんだけど。まず、『芸術家っぽさ』みたいな偏見と『自己表現』みたいな紋切り型を最初から捨てないとこの話は分からないと思うよ。もちろん僕たちもはじめは自分の表現したいことから出発しているし、その核心部分は最後まで手放さないんだけど、それを自然に形にするうえでさっき言っていたような〈ひとつの意味に誘導しない〉〈他者の体験にひらかれる〉 ための些細な技術が必要とされてきた。要するに、作家固有の表現したい欲求と地続きに、その延長として、他者の体験を尊重していく方法が主題化されるんだ。内向きの「表現することの欲求」が、外向きの「新しい出来事に出逢う欲求」へとズレていく、とでも言おうか*12。自分たちの内側から自然に溢れてくるものを潰さずに、且つ、どのようにしてそれを自然に他者の体験へとひらいていくか、僕にとって技術や方法の習得はその〈自然さ〉の習得だし、もし作家の個性みたいなものを見出すのならこの技術や方法からだけだと思う。もちろん、これはすべての作家活動に当てはまるものではないけどね」

さわってください、もってください、あけてください、とはなるべく言わない、というのも技術かい?

「ことばで明確に促さないということだね。この箱を開けてください、と言ったら、その箱はもう『開けるモノ』になってしまう。それは過干渉であり、体験のノイズだ。写真や立体作品を何が起こっても良い〈場所〉として生かすためにはまず余計なものだ。これを注意深く避けていくのも技術だな」

「つくばの友人が『飾っているのに飾らない空間だった』と感想を述べていた。この『飾らない』というのもちいさな技術だろうな」

「飾るのももちろん技術だけどね。動線を引いたり、わかりやすいようにキャプションを置いたりする飾り付けは、押し付けと紙一重なんだ」

「友人が言っている『飾らない』はそれだけじゃない気がするよ。たぶん、僕たちが表現をするその過程の純粋さというか。余計な意図を感じさせない、何かを狙っている感じがない、ということでもあるんじゃないかな。自分で言うのは恥ずかしいけど」

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「あぁ、そうかも。身体の開き方の〈自然さ〉に注目してくれているのか。例えば、空間に残された広い余白や壁面の写真へのことばの乗せ方は、作為的な操作というよりも、あらわれてくるものに忠実に従った結果という感じがするね」

「それが〈場所〉としての身体の生かし方か」

「そのとおり。ところで、僕は〈場所〉をひらくうえで、ジル・クレマンの〈動いている庭〉が参考になると思ってる」

「いきなりジル・クレマンですか…」

「クレマンは、環境(自然)が自律的に〈動いている〉のを受け止め、それを阻害せずに観察し、果たしてそこにどのようにして人間は介入することができるだろうか、と問う。風景は、環境と人間、二重の主体によって解釈され、生成される。環境決定論でも、人間中心主義でもない。風景は、環境と人間による相互制作物なんだ」

「ごめん、抽象的すぎてさっぱりわからない」

「そうだな、『ひとが庭をつくる』と言うと、ひとが自分たちの美しい風景、好きな風景、見たい風景だけを選んでいくイメージだろう。本来の自然の様相は無視されて、ひたすら人間さまのご都合にあった景色がつくられていく。だけどもしも、それを真っ向から否定して、一切人間が手入れをせずに植物たちを野放しにしていたら、今度は最終的に『極相』(平衡状態)へと帰着して風景は止まってしまう。クレマンは、そのあいだをとる。自然の自律性をよく観察して、基本的には植物たちの動きに委ねるんだけど、そこに少しずつ変化を埋め込んでいく。そうやって最低限の手を加えて、風景が固化するのを回避するんだ」

毎年おこなわれる草刈りは優勢種が全域を被ってしまうのを防ぎ、遷移を毎年初期化することで草花を活性化させている。クレマンが完全に環境にゆだねることなく、草刈りによって最後まで残しておこうとするものとはそれゆえ、草花の変化と多様性なのである。…こうした変化は「野原」の風景に「ずれ」(decalage)を生じさせ、そこに「特別な次元」をつけ加えていく。(山内2013:68)

「なるほど。さっきまでの話と重ならなくもない。クレマンはその『ずれ』を生じさせるために、自然と共同しながら風景をつくっていくのか。作家がみずからの制作に他者や異物を大きく呼び込むのと一緒だ。人間(作家)だけではなく、自然(他者)だけでもなく」

「そう。そして、人間が介入(手入れ)する余地を見極めるために、クレマンは環境をよく観察する。植物、それから動物たちの生態を、その動きの相互作用に着目して読み解こうとする。僕たちが、面白いことが起こるような場所を生み出すには、まず、どのような動きが自然な行為やことばを阻んでいるのか、ふだんの生活では何がどのように動いているのか、その自然の見える/見えない〈動いている〉をよく見ておく必要があるんじゃないか」

「まぁ、たしかに、ふだん枷になっていくもの、ヴェールのように覆い被さっていくもの、レールのように予め敷かれていくもの、澱のように沈んでいくものを注意深く見つけておかないと、リアルな変化に富んだ遊びのある場所にするために何を突っつけば良いかは分からないかもね」

「〈動いている庭〉をつくる方法論、その身体に馴染む所作みたいなものは、生活の細部に向けられた感性と思考から醸成されるような気がしている。祝祭的時間の裏側で、祝祭をより楽しむための準備がもうはじまっている」

 

     *

 

「祝祭ということばで思い浮かべるのは精神病理学者・木村敏の時間論*13かな」

「うん。僕は展示のあいだ、さらに言えば会場にだれかが来ているあいだだけ、イントラ・フェストゥム(祭りのさなか)*14にいた気がする。ゆたかに膨らんだ現在があるから未来や過去は問題にならないんだ*15、展示という時間体験においては」

「じゃあ、展示を終えて、いま家でこれを書いてる、この時間はポスト・フェストゥム的な時間体験なのかい」

「そうだね。ただ、〈あとのまつり〉的な気後れ感*16はない。これはどちらかと言うと〈祭りのあと〉の感覚、からだの奥の方で喧騒が残っているような感覚だな」

「それは、こどものころに夏祭りが終わって、家に帰っているときみたいな〈余韻〉かな。ついさっきまでみんながいた神社の灯りを、背中で感じながら歩いている」

「いまはあの時間に対する憧れが〈余韻〉として、微かな火として揺れていて、それと同時に、たぶんあっという間にその火が消えて祝祭の感覚は完全に思い出せなくなってしまうだろう、という〈予感〉さえも確かにあるんだ」

 

     *

 

 

作家の熊谷毅さんが来てくださった。僕は今まで熊谷さんの個展には何度か行っていたのだが、ご本人に話しかけるタイミングをことごとく逃していた。だから、「いまだ!」と思い切って、ずっと話したかったことを投げかけた。

あでやかとも妖しとも不気味とも
捉えかねる花のいろ
さくらふぶきの下を ふららと歩けば
一瞬
名僧のごとくにわかるのです
死こそ常態
生はいとしき蜃気楼と

熊谷さんは自身の個展で、柳澤桂子養老孟司のことばと合わせて、茨木のり子詩篇「さくら」の一節を引いていた。「死こそ常態/生はいとしき蜃気楼」。僕は「そのことばを熊谷さんが引いている」ことに強烈な親近感を覚えて、勝手に興奮していた。そうですよね、そこなんですよね…。

去年「立ち止まる読書会」という場所で見田宗介の『宮沢賢治』を精読した。見田は、人間がふだん〈個我〉(わたし)として絶対化している「身体」や「意識」というものが実際は曖昧な「形態(ルーパ)」に過ぎないのだ、と喝破する。そして、その「形態(ルーパ)」に拘る視線を捨てて、もっと向こうの方にいちめんに広がる「光が散乱反射する空間」で遊び戯れているような存在感覚を、宮沢賢治の人生とテクストから掬い取っていた*17。『宮沢賢治』においてだけではない。見田は「〈透明〉と〈豊饒〉について」(『現代社会批判』所収)のなかでも、「波」「海」という具体的なイメージを用いて同じことを繰り返している。

存在の海の波頭のように自我があるのだとわたしは思っているのだけれど、海が「主体」で、波としての自我を「外化」したりするわけではない。海はただ存在し、その存在のゆらめきとして波は立ち現われ、光って、消えてゆくだけである。

波がじぶんのつかのまの形(ルーパ)に執着し絶対化して、海と闘おうとするときに、波は勝手に自分自身を海から〈疎外〉するだけである。(見田・小阪1986:194)

さらに、『自我の起原』という本の補論において、この「波」のイメージは「戯れ(リーラ)」ということばへとたどり着く。

わたしがもし、そらの散乱反射する素粒子たちのつかのまの集合のかたちとしてのこの身体や意識に固執し、絶対化してしまうかぎり、渦のじぶんをほどいてゆく力学の方が、じぶんの存在の内に装填されている自己解体の罠である。けれどもわたしが、そのつかのまの形態(ルーパ)ではなく、光の粒子たちでありまた波たちであるものの終わりのない戯れ(リーラ)こそがわたしの〈実体〉であるという感覚のほうをとるかぎり、このつかのまの形態の方に固執する力としての〈自我〉こそが、わたしの罠であり、拘束衣である。(真木2008:183)

繰り返しになるが、対象(客体)化可能なわたしの「身体」や「意識」はあくまで束の間の「形態(ルーパ)」に過ぎない。その「形態(ルーパ)」に拘る視線から少しズラして〈わたしの本体〉を、存在の波頭がゆらめき、浮かんだり沈んだりする「戯れ(リーラ)」として捉え返す*18。そのとき、〈わたくしといふ現象〉は、わたしの〈生〉は、茨木のり子の言う「いとしき蜃気楼」にほかならないだろう。見田宗介に馴染んでいた僕にとって、熊谷さんの引いたことばはとてもしっくりくるし、そのことばが引かれているということ自体に強く共感した。

だけれど、僕は同時に、「生はいとしき蜃気楼」「生は波の戯れ」と言い切ってしまえるその感覚をまだ良くわかっていない、まだそこからはだいぶ遠くにいる、ということも常に強く感じていた。
それは論理的に正しく、魅力的な観念として映る。しかし、僕はそれをただ論理として理解しているだけで、自らの身体感覚に落とし込めているとは到底言えないのではないか。このことを熊谷さんに直接投げてみた。
すると、少し意外な答えが返ってきた。

「私もまだ、感覚としてよく分かっていないんですよね」

 

     *

 

「思うに、原理的に〈わかる〉が成立しないんじゃないかな、その感覚については」

「え?どういうこと?」

「祝祭感覚とか〈生はいとしき蜃気楼〉〈生はゆくりない波の戯れ〉という感覚は、いつの間にか訪れて、あっという間に通り抜けていくものだということ。すぐに我に返ってしまう。夢や恋愛と同じじゃないかな。その渦中にいる僅かな間にだけ体感されるけれど、それはすぐに通り過ぎてしまって、感覚をわかっているところからは遠く離れて、対象化も言語化もできなくなる。われわれは事後的に〈それは祝祭だったのかもしれない〉と淡い余韻を噛みしめるだけで、永遠にそれを〈わかる〉ことはないんじゃないのか」

「じゃあ、茨木のり子が書いていることはなんなの?見田宗介は?きみが今まで書いてきたことはなんなんだ?」

「たぶん、彼女たちも〈祭りのあと〉にいたんだと思う。ほら、茨木のり子は『一瞬/名僧のごとくにわかるのです』と書いているだろ。一瞬わかったような気がして、すぐに消えていくんだ。ほんとうは熊谷さんの言うように、もう〈わからない〉。〈祭りのあと〉的な時間感覚のなかで、わずかに残った香りだけを頼りに生まれたことばなんだよ」

「香り?」

「残響でも残像でもなんでもいい。それは減衰しながらも残っていく。身体や精神の危機にほど近いトラウマ的なものなのか、憧憬的なものなのか、あるいはそのどちらでもある中間なのか…」

「まって、まって。残っていく、とは言ってもさ、もう殆ど何もないのと一緒でしょう。祭りの感覚はあっという間に完全にわからなくなる。〈祭りのなかにいた〉という余韻もどんどん薄れていく。その微かな余韻だけではもうことばは生まれないし、もとの固定的な世界に戻されていくだけだ。ポスト・フェストゥムも終わって、祭りから完全に切り離されるんじゃない?」

「何もないわけではないし、祭りから完全に切り離されることもないだろうけど、まぁそうだな、確かに、作品は止まっていくし、自己は同一性の歯車のなかに埋没していくだろう」

「どうするの?」

「どうもしないさ。生活のなかに戻っていくだけだよ。中井久夫の言う比例世界が主調音であるようなところに*19。そして、またきっと、あるときに創作が、祭りが、わたしという場所において立ち上がる。訪れるといってもいい。そんな予感がある。展示の最中、いろんなひとに『この空間は生活の延長です』と語ってきたけど、延長はちょっと違ったね。僕たちが生活を引き伸ばしたんじゃない。祝祭の現出は、日常生活にふいに起こる〈転調〉だ。やっぱりこどものころの夏祭りだね。あれは日常のさなか、突然露店があらわれて、お囃子が聴こえて、歩いているだけで巻き込まれているだろう。ハレとケ、聖と俗が画然と区別されているのではなく、日常生活と祝祭の時空は折り重なっていて、ふいに転調して上下が反転するんだ。創作は、そんなふうにきっとはじまる。そのときまで、煌めいていた時間を夢見ながら、生活を歩き続けるんだよ」


     *

 

世界は私にとって徴候の明滅するところでもある*20。それはいまだないものを予告している世界であるが、眼前に明白に存在するものはほとんど問題にならない世界である。これをプレ世界というならば、ここにおいては、もっともとおく、もっともかすかなもの、存在の地平線に明滅しているものほど、重大な価値と意味とを有するものでないだろうか。それは遠景が明るく手もとの暗い月明下の世界である。(中井2004:4)

私には、私の現前する意識には収まりきらないものが非常に多くある。私の幼児体験を初めとして、私の中にあるのかないのか、何かの機会がなければためすことさえない記憶がある。(中井2004:31)

中井久夫は、見えない、触れない、はっきりとことばにならない、薄ぼんやりとした非現前の世界の存在を肯定する。あるのかないのかわからない記憶、忘却の彼方へと追いやられもう思い出されないような記憶も、存在しなくなったわけではない。しかし、〈もっともとおく〉〈もっともかすか〉に明滅する世界の朧ろを、中井に倣って〈メタコスモス〉とか〈プレ世界〉と呼んでみたとて、そんなものは日常生活を送っているうちに次第に忘れられて感じられなくなってしまうだろう。僕たちはどうしても、目の前にありありと現れているものの世界へと連れ戻されてしまう。
生活のなかで、〈メタコスモス〉や〈メタ私〉に対する感度を失わずに、〈余韻〉や〈予感〉のほうもまた大切にしながら生きていくことはできるだろうか。簡単に取り扱うことのできる記号や論理に目を奪われることなく、翻訳不可能な「霊感*21」のようなものに包まれながら生きていくことはできるだろうか。「霊感」が怪しいことばに感じられるのならば、それをもっと単純に「想像力」と言い換えても良い。現前するものと現前しないものが交わり合う広い空間の方へと揺れ出ていく想像力*22

僕たちの作品を見て「切迫感があるじゃないですか。切迫感のある作品はやっぱり良いですよ」と言ってくれたひとがいた。切迫感は間違いなく、生活を源泉として生まれてくる。「どうしてもやる」「何が何でもつくる」という創作の切実さは、生活において抱きしめていた感性の器が満ちて、溢れ出したときにあらわれる。その瞬間、もはや作為を差し挟む余裕などなく、声が声に重なってゆくようなスピード感で身体が動く*23。創作はどうしようもなくはじまる*24
みはらかつおさんは「こわいから創ってるんだと思うんだよ」と言っていた。「こわいから創ってるんだ」と繰り返していた。生まれつき持っている感受性だけが発光しているのではない。生活のなかで手放すことのできなかった実感とか、醸成され続けてきた想像力とかが渾然一体となって、どうしようもない現実感覚として突如切迫してくるのだ。
この切迫が、日常の〈転調〉である。日常生活と創作現象は二重に織りこまれている。だから僕は、そのときが来たらいつでも柔らかく身体をひらいていけるように準備しながら、導かれながら、生活を続ける。

 

 

 


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個展「景に遇う」

滴々 × チフリグリ

会期:2021/11/16(火)-21(日)

時間:11:00-18:00(最終日17:00まで)

会場:ギャラリーチフリグリ

 
 
 
 
 
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【参考文献・引用文献】

中村航(2005→2007)『100回泣くこと』小学館文庫

茨木のり子著/谷川俊太郎選(2014)『茨木のり子詩集』岩波文庫

斎藤茂吉著/柴生田稔編(1977)『斎藤茂吉歌論集』岩波文庫

木村敏(1982)『時間と自己』中公新書

木村敏(1997→2015)『からだ・こころ・生命』講談社学術文庫

真木悠介(1981→2003)『時間の比較社会学岩波現代文庫

真木悠介(1993→2008)『自我の起原:愛とエゴイズムの動物社会学岩波現代文庫

見田宗介(19842001)『宮沢賢治:存在の祭りのなかへ』岩波現代文庫

見田宗介小阪修平(1986)『現代社会批判/〈市民社会〉の彼方へ』作品社

坂部恵(1976)『仮面の解釈学』東京大学出版会

中井久夫(2004)『徴候・記憶・外傷』みすず書房

シモーヌ・ヴェイユ,田辺保訳(1974→1995)『重力と恩寵ちくま学芸文庫

山内朋樹(2013)「「動いている庭」から「野原」へ:ジル・クレマンにおける風景と環境」『立命館言語文化研究』立命館大学国際言語文化研究所

三木成夫(1983)『胎児の世界』中公新書

岡原正幸編(2014)『感情を生きる:パフォーマティブ社会学へ』慶應義塾大学三田哲学会叢書 

岡崎宏樹(2020)『バタイユからの社会学:至高性、交流、剥き出しの生』関西学院大学出版会

 

*1:ここで敢えて、主題の絡まりを解いて列挙するならば、次のようになる。

創作現象において立ち上がる〈出来事〉
・作品について:「風景が(偶然に)あらわれる/残る」
・展示について:「場所として生きること」と「プロセスのさなかに置くこと」
技術について:どのように「流れ」に介入するか
祭りのあと:余韻と予感の日常世界、生活の背景としての祝祭

*2:そもそも、祭りのあとにこのような文章を書くということは、一見野暮ったく、不要なことのように思える。来場されたひとりの作家さんに「展示のあとにことばなどを使って整理したりしますか?」と問うと、「いえ。とりたてて整理することはありません」と即答された。単なる整理に終始するのであれば、たしかに必要ないものだろう。
このエッセイは、単なる記録や思考の整理としてではなく、なにか新しい思索と表現のスタイルの創出に寄与できれば、と思って書いた。そして、できればこれが、これからどうしようもなく続いていく生活の道の、終着点ではなく方向だけを指し示す「標し」になれば良いと思う。

*3:作者がひとりでなにかを表現(形態化)するときは「お祭り感」が薄い場合もあって気づきにくいだけで、ほんとうはそれも祝祭の一部である。なにかを表現しているとき、わたしは既に「巻き込まれている」。

*4:そんなふうに、その場所に波のようにあらわれ、やがて消えていく、ささやかな〈出来事〉たちこそ、創作現象の産物、「作品」と呼ぶべきものなのだ、とも言える。確かに、創作から産まれてくるものの本質はそれらの行為の「現象」それじたいなのだが、しかし、それらをひとたび「作品」と呼び表した時点で「実体」的なものとして把握する視点が生まれ、本来の「動き」が見えづらくなってしまう。この〈出来事〉については、「作品」などのことばで固定するのを避けて、絶えず具体的に語り直していく必要がある。

*5:卵巣がんと闘う彼女に、主人公が「何が欲しい?」と尋ねるシーン。

「十一日には何かプレゼントするよ。何が欲しい?」
「えー」と、彼女は声を上げた。「今欲しいのは健康かな」
「いや、そりゃそうだけどさ、モノだよ、モノ」
「じゃあ、お守り」
「お守りか」僕は考えた。「成田山でも行ってこようか?」
「いや、そうじゃなくってね、箱が欲しい。絶対に開かない箱を作って欲しいの」
「開かない箱か……」
「そう。中身を絶対に取りだせない箱。中には何も入れないんだけどね、絶対に絶対に開かない箱」(中村2007:154)

そして、彼女が亡くなったあと、主人公はほんとうに〈開かない箱〉をつくる。

*6:伊東卓さんから指摘されたように、写真月間の花輪さんの展示に影響を受けている。あの方法をミニマムなかたちで、ガラスの質感を追求しながら試そうとしたのかもしれない。

*7:

…雪が往き、雲が展けてつちが呼吸し、幹や芽のなかに燐光や樹液がながれる、このようななにごとの不思議もないできごとのひとつひとつを、あたらしく不思議なものとして感受しつづける力。…存在という奇蹟、存在という新鮮な奇蹟にたいして、これを新鮮な奇蹟として感覚する力のようなものである。(見田2001:162)

*8:こちらこそありがとうございました。

*9:このように考えると、次のような参加者の気づきによって、企画者さえ考えていなかった新しい可能性が示唆されることも、ごく自然な出来事である。
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*10:

予が短歌を作るのは、作りたくなるからである。何かを吐出したいといふ変な心になるからである。この内部急迫(Drang)から予の歌が出る。(斎藤1977:49)

短歌の鑑賞について、いろいろな用意が大切であるが、ここに書くのは、一首を吟味するに際して、作者はなぜかういふことを言はずに居られなかつたか、如何なる内部急迫から、このやうな表現をしなければならなかつたかを吟味することである。(斎藤1977:52)

*11:「展示する」「ひとに見せる」というのは外部規範ではない。「展示しなければならない」のではない。「作品はひとに見せなければならない」のではない。そのような窮屈な規範意識を超えて、ただ、「展示してみたい」「外に置いてみたい」という欲求が突然肉薄してくるだけだ。ひとに見せないもの、ずっとどこかに隠されているものもあるし、それもまた作品であることを否定しない。表現は私的であっても良い。

*12:僕はこれを「欲求の通過」として捉えている。茂吉の言う「内部急迫」が作者の身体を通過し、その外部、つまり他者たちの交わり合う空間へと移行しようとするとき、「モノ(表現)を他者に解き放ってみること」への欲求が顕在化する。実は〈創作〉現象の根底では、この「欲求の通過」が起こっている。これは個の構造において、〈内部から外部へ〉の自己裂開的な欲求(真木2008)が根本的に胚胎されているのと同型である。

*13:例えば木村(1982)など。

*14:木村は躁鬱病及び癲癇に共通する時間構造を次のように規定する。

われわれはこの第三の狂気に、「祭のさなか」を意味する「イントラ・フェストゥム」の形容を与えようと思う。イントラ・フェストゥム的意識に特徴的な時間構造は、いうまでもなく、現在への密着ないしは永遠の現在の現前である。(木村1982:159)

*15:所謂「現在主義」とは明確に区別すべきである。ルソーの記述をめぐる真木悠介のことばを引用しておく。

それは同時に、モンテーニュやフェヌロンやディドロの現在主義とも異なる。はじめに時間が断片化されているゆえにその孤立した瞬間に生きようとする適応ではなく、反対に、はじめに現在がそれとして充実しているがゆえに過去も未来も必要としない現在であるからである。…過去や未来は、ある種の「現在主義者」のように、信じられないのでもなく、否定すべきであるのでもなく、あってもなくてもよいという意味で、端的に関心外なのだ。(真木2003:258-259)

*16:木村(1982:108)。

*17:

〈わたくしといふ現象〉をとり囲む「闇」はこのように、〈自我(わたくし)〉というかたち(ルーパ)に執着するかぎり暗くおそろしいものだけれども、ほんとうはそれ自体として、仮定された有機交流電燈のひとつの青い照明などよりは、もっとあかるい光の散乱反射する空間に他ならないのだ。(見田2001:181)

*18:見田の語るところを図にしたものが以下。

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また、『気流の鳴る音』『宮沢賢治』における「トナール」「ナワール」概念やインド哲学をはじめとして、木村敏(ヴァイツゼカー)の生命論、上田閑照の場所論(二重存在論)、三木成夫『胎児の世界』と五十嵐大介海獣の子供』、ジョルジュ・バタイユの「連続性」「至高性」概念などは上の議論におそらく密接な関係をもつが、煩雑になるのでここでは深く立ち入らない。

*19:中井(2004:13)。

*20:「世界は記号によって織りなされているばかりではない」(中井2004:4)、「私の意識する対象世界の辺縁には、さまざまの徴候が明滅していて、それは私の知らないそれぞれの世界を開くかのようである」(中井2004:31)。対象世界にはわかりやすく何かを指示/説明するだけの「記号」のみならず、「徴候/索引」というもうひとつの見えない世界を開示する鍵が存在する。中井は「記憶」を論じるうえで、この二つの世界のあいだの交通網を思考の拠点とする。詳しくは「世界における索引と徴候」(『徴候・記憶・外傷』所収)参照。

*21:

美しい詩というのは、言葉に言いつくせない霊感を、言葉に言いつくせないままに、その方へと注意を向けつづけてつくられる詩のことである。(ヴェイユ1995:164)

*22:例えば、現前と非現前という二項対立に揺れながら別のところにたどり着く物語が『電脳コイル』だった。さわるとあたたかいもの、さわれなくてもあたたかいもの。「さわれるもの/さわれないもの」の別ではなくて、この「あたたかい」にこそ定位すべきなのではないか、というのがひとつの主題だったと思う。

〈うつつ〉は、たんなる〈現前〉ではなく、そのうちにすでに、死と生、不在と存在の〈移り〉行きをはらんでおり、目に見えぬもの、かたちなきものが、目に見え、かたちあるものに〈映る〉という幽明あいわたる境をその成立の場所としている。そこに、〈移る〉という契機がはらまれている以上、〈うつつ〉は、また、時間的にみれば、たんなる〈現在〉ではなく、すでにないものたちと、いまだないものたち、来し方と行く末との関係の設定と、時間の諸構成契機の分割・分節をそのうちに含むものでもある。(坂部1976:195)

坂部恵の「うつつ」や「おもて」に限らず、木村敏の「あいだ」やメルロ=ポンティの「身体」も、新田義弘の「媒体」も、何らかの二項を成立させるような〈場所〉の方へ思考をズラしている。このように〈場所〉を基底にし、その重力圏における遠近をことばで浮遊する思考を拠点にしなければならない。
視野を広くとり、その空間を想像力によっておおきく揺れる。そうやって、少しずつ、いまの認識からズレていくこと。もしも、思考が現実を変容させる可能性を持つとすれば、この認識のズレと感覚の移調に寄与する場合のみである。

*23:やながみゆきの『あふれる』は、この「切迫」を音楽的に具現化している。聴いてもらえるとイメージとして分かりやすいと思う。

さとうささらの声は、「ことばでは表現できない」という焦燥に責付かれるようにして溢れ出している。たまらなくなって、声は、声に重なっていく。

二種類の別のことばが、同じ一つのことを言うために重なって現れる。一つの言い方では言い表せない、「一つの言い方を選ぶ」というスピードでは全然足りないのだ、という苦しみをまるごと曝け出すように。

*24:この衝迫のまえでは、もはや、生活の存続などを気にしている場合ではない。仕事をして生活を安定させる、ということを基盤として、創作が成り立っているわけではない。どちらがうえにあるか、したにあるか、ではない。みはらさんか伊東さんかどちらかが「生活を犠牲にしてでも創らなければならないときがある」と言っていたことを思い出す。