波頭

束の間、淡く残ることについて

fieldnote みはらかつお個展「千年景-仙台2021-」

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(写真はギャラリーターンアラウンド公式Twitterより拝借いたしました。)

 

よく知られているように、「天の川」というものは地上から眺められている限りにおいて川に見えているが、実際のところは敷き詰められた星の粒粒である。縮尺を変えてみれば、すなわち、地上から見るか(天文学的に)宇宙空間へと身体を飛ばして見るかのちがいを行き来すれば、川として見ることもできるし粒粒として見ることもできる。

 

みはらさんの作品はある程度の距離を保って見る限りでは色鮮やかな「地図」として見ることができる。実際、作品の題材は1/25000の地図である。しかし、額に近づいてよーく見てみると、地図のうえに乗せられた様々な色の「点点」がはっきりと目に入る。鑑賞者が自ら縮尺を変えてみることで、夥しい数の点が浮かび上がる。

 

地図とは私たちの地上の生活をある程度抽象化したものであるが、みはらさんは地図という「抽象」に生活や歴史や文化の「具体」を文字通り点在させ、重ねることで作品を成立させている。点描という方法をとることによって、転換点としての縮尺が生まれ、抽象と具体は同時に表現される。

 

巨視的にみれば地図や歴史年表のように伸び広がっている世界も、微視的にみればひとつひとつ固有の重みと質感をもった点点である。

 

地図をスタート地点として描き始めていくスタイルじたいは20年近く前から変わっていない、とみはらさんは言う。そこに乗せられていく絵ははじめ、点ではなく、もう少し漠然とした線や色を基調としたものであった。そのまま10年にわたる制作活動を経て、2011年をきっかけとして点描がはじまる。

 

「千年」は年月。そして「数えきれないほどに長い」の比喩。それを「ちとせ」と呼ぶ。「ちとせ」には近の景色を遠の視野へと導き、遠の景色を近の視野へと引き寄せる力がある。言葉には霊が宿るというが、東日本大震災を経験した世代は、あの日以降の時をそれぞれの千年(ちとせ)の言霊と共に生きているのではないか。千年前のピンポイントの景色ではなく、あの日の経験を踏まえて広がる世界は、風通しのよい「ちとせ」の空間。大地の気配は現代と地続きだと知ることになる。(「千年景」2020年3月11日、会場配布のテキストより抜粋)

 

時間的-空間的な遠近感を往還すること。「ちとせ」という言葉の霊に導かれるようにして、点描という方法が身体化されたのだと思う。その背景には、東日本大震災に巻き込まれることで浮かび上がった生活実感があった。

制作は、生活の実感と地続きに、世界を受け止める自然な方法をあたらしく獲得しなおしてゆくプロセスである。